台湾の寺廟の装飾が複雑で精巧なのは、その本来の構造と密接な関係がある。例えば、大部分の寺や廟の前殿の門柱の両脇には対の狛犬や抱鼓石あるが、これは本来門柱を守り、安定させ、強化するためのものである。しかし、中には幸福を招くために施された装飾モチーフもある。例えば、前殿の両側の壁の上にある対になったレリーフ「壁垜(壁堵)」によく見られる装飾モチーフとして「竜虎堵」や「麒麟堵」がある。また、旗、球、戟、磬の図柄は、その発音が「祈求吉慶」という縁起のよい意味を表す言葉と近いことからよく彫られる。台南府城隍廟の前殿の両側にある「吉慶垜」には、喜ばしい出来事が起きますようにとの神への願いが込められている。他にも、鹿港龍山寺では、山門を入ると両脇の石彫りの柵の上に「十八羅漢」とそれぞれ旗、球、戟、磬を持った四人の童子の彫刻があり、柱の台座の部分にも「祈求吉慶」を表す比較的簡単な図案が彫られている。
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漢代の識字教育は「小学」、上級教育は「大学」と呼ばれます。東漢崔寔の《四民月令》は、毎年の正月と八月に「幼い子供を小学に入学させ、書の篇章を学ば せる」という記事があります。篇章というのは、識字書である《蒼頡》と《急就》のことです。そのほか、学童は数学計算の九九術や、時日・干支を計算する六 甲などをも勉強しなければなりません。その中に、識字はもっとも重要な授業であり、識字書も両漢時代に渡り増補、修正しつつありました。「小学」は字書の 総称とも言えられます。敦煌および居延漢簡の中で、練習のため《蒼頡》、《急就》、九九、六甲を 抄写した大量な残簡や、ほとんど完全無欠な毛筆一本を発見したことにより、両漢中期から東漢明帝時期まで辺境にある兵士は、辺境防衛を機に初級レベルの教育を受けたことを証明されます。当特別展は、主に居延から出土された、隷書・草書・篆書で書写の練習をした《蒼頡》、《急就》、六甲干支および九九の簡・牘と觚を取り上げ、さらにいくつか書跡の美しい簡牘を精選し、書道の愛好者に差し上げます。.....
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1930年代に河南省汲県山彪鎮遺跡で発掘された東周時代の墓葬、山彪鎮1号墓の出土資料を展示しています。山彪鎮1号墓は山彪鎮遺跡の中で規模が最大かつ出土遺物の豊富な墓葬で、大きさは東西7.4m、南北7.1mに達する東周時代の中―大型墓です。年代はおよそ春秋時代と戦国時代の境目(紀元前5世紀中頃)かそれよりもやや時代が下るものと推定されています。ここで展示している文物は、「鐘鳴鼎食(しょうめいていしょく:豪奢な生活の例え)」という形容そのものの、東周時代の貴族の贅を尽くした生活ぶりと、当時の工芸美術の水準の高さとを如実に反映していると言えるでしょう。.....
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1930年代に河南省濬県辛村で発掘された衛国墓地の60号墓と3号車馬坑の資料を展示しています。60号墓は西周の衛国墓地でも数少ない未盗掘墓のひと つで、墓室の大きさは南北2.85m、東西1.6m、棺は一重のみで槨室は設けられていません。墓内の副葬品の点数は多くはありませんがその出所はかなり 複雑で、中でも兵器や車馬器が多く副葬されていることから、この墓葬の被葬者は西周前期の、軍事に深く関わった中流貴族であったと考えられています。3号 車馬坑は衛国墓地で発見された最大規模の車馬坑で、大きさは東西10m、南北9.1mに達します。この車馬坑からは副葬された馬の骨と精巧な構造の貴重な 馬車の部品が大量に出土しており、年代は西周中-後期の間(紀元前10-9世紀頃)と推定されています。.....
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1928-37年の期間、史語所は河南省安陽殷墟遺跡において全15回にわたる発掘調査を行いました。洹河北岸の西北岡では11基の大墓と千三百余基の小墓が発掘され、南岸の小屯村では規則的な配列による建築遺跡が3組発掘されました。この調査の成果を踏まえ、この展示コーナーは西北岡王陵区と小屯宮殿宗廟区という二つの主題で構成しております。王陵区については1550号墓・1004号墓・1400号墓の3基の大墓と1022号墓・1005号墓・1083号墓・1435号墓の4基の陪葬墓と祭祀坑の資料を、小屯区については331号墓・40号車馬坑と甲骨の資料を展示しています。これらの展示から、殷王の埋葬制度や殉葬状況、殷代の祭政一致の国家体制、.....
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1928-35年の間に史語所研究員によって発掘された山東龍山文化の考古資料を展示しております。ここで山東龍山文化研究の歴史を以下に紐解いてみましょう。1928年、山東省歴城県龍山鎮において史語所の研究員呉金鼎が城子崖遺跡を発見し、1930年には李済が指揮する史語所の調査隊によって正式な発掘調査が行われました。1934年、山東省東部沿岸地区において史語所研究員によってさらに多くの龍山文化の遺跡が発見され、翌35年にはそれらの遺跡群の中で最大規模を誇る日照両城鎮遺跡で試掘調査が行われました。.....
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史語所は二万八千余種、約四万枚にも達する大量の金石拓本を所蔵しておりますが、その大部分は1930年代前半に収集・購入したもので、ごく一部寄贈によるものも含まれています。これら拓本資料の多くは過去の研究書(著録)に未収録の資料及び古い時期に採拓された良拓によって構成されています。この展示コーナーでは採拓した器物の種類によって次のように分類しております。
「青銅器全形拓」:主に伝世青銅器から採拓した拓本に切り貼り・加筆などの加工を施して作成した青銅器の全体図。清代中期以降に流行した。展示資料の多くは良拓で著録に未見、一部は過去の大学者による題記を伴う .....
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