コレクション特別展
海の中の煌めく風景──珊瑚礁

珊瑚礁の素晴らしさ
珊瑚礁の生物の多様性は、熱帯雨林に匹敵!!

世界の海洋生物の約四分の一は珊瑚礁に生息しており、個性豊かな様々な生物たちが共演し賑やかな舞台を作り出している。種の多様性が緻密な食物連鎖を作り出し、それらの関係は切っても切れないもので、どれひとつとして欠けるものがあってはならない。太平洋の暖流と寒流が交差する地に位置する台湾は、その海岸のほとんどが岩礁で出来ており、そのほとんどにかつては珊瑚礁が存在した形跡がある...

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1930年代の台北ファッション

台湾の歴史に、比較的遅く登場した台北市は、まず艋舺から大稲埕にかけての地域が発展し、清朝末期には台北城の修築が行われ、この三つの地域を合わせて「三市街」と呼んでいた。また、日本統治時代には、台湾総督府が積極的に都市の開発を進めたため、台北市は1930年代に入ると繁栄し台湾の政治や経済の中心地になっただけでなく、公共インフラや都市開発も中国や日本の地方都市のレベルを超え、「島都」と呼ばれるにふさわしい都市へと成長した...

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ベストコレクション 一曲歌えば花が咲く--台湾芸者の生涯と運命

バスの運転手、車掌、看護婦、電話交換手、茶摘み、製糸工女・・・。これらは日本統治時代に女性がついていた職業である。しかしそれ以外にもう一つ、歴史の中に埋もれてしまいそうな女性の職業がある。芸者である...

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ファイルの中の庶民の物語:邢大と狐仙

北京城で起こる物語はどれも魅力的である。登場人物の日常生活は、単に政治の世界以外の豊かで多元的な庶民的生活を反映しているだけではなく、時には伝奇小説のように感動的な物語へと展開する。『聊齋志異』と同じく、狐仙は人里離れた山奥に棲息しているのではない。仙人は生計を立てるために、普通の人々と同じように北京城にまでやって来て仕事を探さなければならないのである。北京城でのこの狐仙の物語は、嘉慶年間に北京城近郊で起こった。人のために香を焚く狐に憑かれた三十四歳の女「邢大」の身の上に起こった出来事である...

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石にも情けあり──石彫に見る台湾の美

山間の林道を進み、古い牛洞トンネルを抜けると、目の前に幽玄な椰馬渓谷が現れる。くねくねとした魚池郷69号線に沿って進むと內加道高台へと到着するが、その道の傍には石の彫刻がいくつかある。ここは、名高い芸術家林淵が自ら建てた家である。門をくぐると、庭のそこいら中に石の彫刻作品が転がっていて、それらはまるで地面から自然に生え出でてきたかのようである。草木の息遣いや力強い生命力が漂っている。彫刻の脇には地球儀が一つ置かれている。「なぜ庭にこんなに大きい地球儀があるんだろう?」と我々は不思議に思った。林淵先生の孫である林日火氏は「ここを訪れた子供が退屈してしまうといけないので、祖父が特別に作ってここに置いたんだよ」と笑いながら言った。地球儀を手で回してみると、光が反射してキラキラと光る。

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どこにでもある暮らしの楽しさ:陶器飾り、工芸品と娯楽玩具

 あらゆる史前遺跡から出土した陶器は、人類が移動生活から定住生活へ変化した証の一つでもあります。人類が陶器に対する知識や技術、感情などは日常生活の実用性を満たす以外にも、子供のおもちゃにあたる土偶や飾り・工芸品を始め、祭事用の土器、副葬に使われる埴輪などと幅広く活用されてきました。台湾原住民族の中でも陶珠などの陶飾りを作る部族が多く存在しており、特にタオ族は製作で余った陶土でユニークな陶芸品や生き生きとした土偶などを素手で作り上げます。

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ベストコレクション なるほど台湾縦貫鉄道

1908年は台湾鉄道史上特別な意味がある。1895年、日本統治時代に入る前の台湾鉄道は、清朝末期に台湾巡撫劉銘伝により施工されていた。しかし当時の財務状況は厳しく、基隆~台北間及び台北~新竹間が開通したのみであった。日本統治時代の初期には、初代総督樺山資紀が鉄道技師である小山保政に台北から基隆間の鉄道実地調査を命じた。その結果、枕木が曲がっていたり、レールが抜け落ちていたりしており、メンテナンスがきちんと行なわれていないことが判明した。資料によると樺山資紀本人も脱線事故に遭ったことがあったという。

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