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ベストコレクション:美しさは偽りではない-台湾のサンゴ礁魚類 |
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台湾の海洋資源の豊かさは、われわれの想像をはるかに超えている。台湾の海洋生物の種類は地球上の十分の一を占め、他の海に面した国の平均の四百倍。ま た、全海域の0・3%にも満たないサンゴ礁が、台湾島の南北両端だけではなく、緑島、澎湖島、蘭嶼などの離島にも分布している。こんな小さな島が、なぜこ れほど豊かな海洋資源を有しているのであろうか。その主な理由は優れた地理的環境にある。台湾島は世界最大の大陸...
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あなたは「崑濱伯」の姿と笑顔をまだ覚えているだろうか。ドキュメンタリー映画「無米楽」では、山が多く平地が少ない台湾の地で、勤勉に農業にはげむ農民 の姿が記録されていた。映画館、DVDを問わず、このドキュメンタリーを鑑賞した人は誰しも、台湾人の素朴な生命哲学を感じたことだろう。機械が家畜に 取ってかわった現代、日本統治時代には見渡す限り水牛が田を耕していたあの時代の光景を、今どれほどの人が思い起こすことができるだろうか。当時は、「工 業日本、農業台湾」という総督府のスローガンのもと、台湾に農業発展の礎が据えられた。映像技術がまだ進んでいなかったあの時代、土壌や植生、農業経済な ど各分野に関する研究資料は、当時の保存形式のまま保たれていた。時の流れを経て、我々に解き明かされているのを待っていたかのように...
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ベストコレクション 結納の真義--台湾伝統的漢民族社会の婚姻 |
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清朝による台湾統治時代初期、台湾では漢民族のあいだで男性が多く女性が少ないという現象があったため、それが結納に与える影響は甚大で、新郎側は莫大な礼金を払い、新婦側は見栄えの良い嫁入り道具や持参品を用意しなければならず、結婚は経済地位を誇示する儀式となった...
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人の往来が途絶えることのない台北西門町紅楼八角堂の横には、かつて、小さな神社があった。神社とは神道の神を祀っているところである。この神社は台湾が 日本統治時代に、日本人によって作られた稲荷神社である。1911(明治44)年6月25日に鎮座式が執り行われ、1937(昭和12)年10月に「郷 社」として認定された。役所の記載によると、かつては淡水、基隆...
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1895年、日本東北地区遠野市出身の伊能嘉矩は海を渡り、帝国の新領土台湾に足を踏み入れた。当時28歳の若き人類学者は、帝国の野望と好奇心の象徴でもあり、学問研究と殖民統治を目的に、生涯をかけてこの南の島を探索し、記録した...
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夏曼・藍波安(Syaman Rapongan)はスピーカーから聴こえる歌声に真剣に耳を傾けていた。歌声は彼の父親が残した記録だ。悠々とした歌声はまるで穏やかな波のよう。清ら かな歌声にうっとりとしてしまう。ひとつ、またひとつと押し寄せる波はまるで島で暮らす人の一生のようだ。波が去ったあとに泡が残されるように、歌声は風 に運ばれてゆき、思い出だけが残される...
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ベストコレクション 百年前の艋舺での闘争―歴史の中のやくざ事件簿 |
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皆さんは「一府二鹿三艋舺」という言葉を聞いたことがあるだろうか。この言葉は清が台湾を統治していた時代の台湾の三大都市を評したもので、当時艋舺(現・萬華)は三番目の都市であった。淡水河に近く舟楫の便に恵まれていることから艋舺は徐々に商業都市として発展していった。地名の由来はそこに住んでいた平埔族の言葉で「カヌー」Moungarが訛ってMankahになったと言われており、このことからも当時の艋舺が、水運の発達した商業貿易の盛んな場所であったことが窺い知れる...
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