島の記録:日本時代林業の文献アーカイブ

文/林定立
台湾アーカイブ推進計画専任アシスタント
本文はTELDEP台湾デジタル公開審査推進計画が提供

 

「植物学雑誌」日本の海藻類イラスト
日本統治時代の台湾経済は典型的な所謂殖民地経済で、自然資源と人材は宗主国発展の為に利用されていた。農林畜産等自然資源の調査と開発は、総督府の重要政策と位置づけされ、台湾史上初の大規模な資源調査が行われた。この調査は日本国内の熱帯林研究を補うだけでなく、台湾を日本の産業の鎖輪のひとつとして位置づける重要な基礎作業でもあった。調査結果は日本統治時代だけでなく、中華民国時代に入ってからの台湾開発の基礎ともなった。

当時の山林政策の痕跡は、今も台湾各地に残されており、多くの建物は日本統治時代とは違った面持ちで、すでに台湾人民の生活の一部となっている。例えば当時の実験林「台北苗圃」は、現在では「台北植物園」となり、いわゆる四大森林に深く分け入った鉄道は観光列車となり、また廃屋となった砂糖工場や紙工場は芸術展覧館になっている。単に建築物の機能が変化されて保存されているだけでなく、当時の研究成果は現代でも応用され、現代の生物種の研究の多くは日本時代の研究報告書を参照資料としている。また、台湾は戦後、幾つかの政権交代があったため矢継ぎ早に開発が行われ、自然生態や環境が短期間で激変したため、自然史の観点から近代台湾自然生態を考える場合、日本人が行った調査は最も重要な記録になっている。

林業試験所は、日本時代の台北苗圃から始まって、殖産局林業試験場、中央研究所林業部、そして総督府林業試験所というように、体制の改変と共に所管機関が幾度も変更されたが、そのため文献や書籍、図鑑等が豊富に累積された。多くの研究文献や図鑑は今でも台湾にたった一つしかない貴重な資料である。これ等文献資料を閲覧することによって、まるで時と人の壁を乗り越えるかように、台湾の自然を一望できるのである。

林業試験所は日本統治時代の文献デジタル化に二年にわたって取り組み、林業文献データベースや図鑑の展示システムを完成させた。「本草図譜」「有用植物図説」「桜花図譜」などの図鑑の他、「台湾博物学学会会報」等のドキュメントがデジタル化されたものも含んでいる。更に今年は「A Voyage to China and the East Indies」「重修植物名実図考」「植物学雜誌」「台湾総督府林業試験所報告」などの定期刊行物と貴重な書籍のデジタル化作業も行われた。


「Voyage」イラスト バルレリア・クリスタータ

発見の旅――台湾植物の調査記録
1874年牡丹社事件により日本軍隊と共に来台した植物学者栗田万次郎は、事件後台湾に残り、研究を続行した。その成果は1888年に「台湾南部植物腊葉目録」と題して、「植物学雑誌」に発表された。これは日本人初の台湾の植物に関するレポートである。それ以降日本統治時代には植物学者が相次いで台湾にやってきて植物採集を行った。多くの学者は東京帝国大学の研究員で、採集した標本の一部は台湾に残し、他は東京へ持ち帰り同大学の標本館で保存した。台湾植物に関する調査研究報告書は「植物学雑誌」や「台湾博物学学会会報」などの定期刊行物で目にすることが徐々に多くなっていった。

林業試験所でデジタル化された「植物学雑誌」を見ると、日本本土の植物研究だけでなく、当時の殖民地であった東南アジア地域も調査範囲に含まれている。中でも、台湾の生物種が研究報告書の中で一番多い。「植物学雑誌」には植物学者大渡忠太郎が紀行文形式で書いた「台湾植物探検紀行」が収録されている。台湾の風土やよく見かける植物の分布について大まかに記述されている。また、台湾産ホトトギス属や台湾産モクセイ科、台湾産ガガイモ科、高山植物等台湾特有植物に関する研究レポート、産業用途目的に使用できる台湾の植物、茶の木、森林、針葉林、ヒノキ等、更には最近話題になっている赤麹についても、「植物学雑誌」の中に既に掲載されている。

データベースには「台湾博物学学会会報」も収録されており、台湾生物種研究の総体と言ってもいい。1911年(明治44)3月の創刊号から1945年(昭和20)2月最終号まで、総計34巻252号発行され、2000編余りの文章が含まれている。そのうち、動植物に関する研究が8割以上で、地質鉱物が約1割、その他1割は人類学、気象学、考古学や雑記などである。現在学界で知られて重視されている生物種は勿論のこと、その命名や分類は日本統治時代に遡ることができる。これらの貴重で詳細な博物資料は、台湾という美しい島を知るために必要な索引エンジンである。

総督府中央研究所林業部は再組織され、「林業試験所」が独立した。「台湾総督府林業試験所報告」は当時の林業経営や森林資源調査・研究結果をまとめて、基本の木材について解析・記述・分類しただけでなく、栽培・経営・利用・保護等産業と生態のバランスについての議論も含まれている。これ等資料はデジタル化により一般の人々がネット経由で利用することができ、知識の共有が可能になるのである。

重要書籍のデジタル化
大量の研究報告文献以外に、林業試験所のもう一つの役目として、重要書籍の保存がある。「植物名実図考」は1848年に清代の植物学者呉其濬より編集されたもので、歴史的な文献とフィールドワーク採集の結果に基づいた書籍である。同書には植物1714種が記載され、穀物、野菜、山菜、羊歯類、石草、水草、蔓類、香草、毒草、花、果物、木等12種に分類されており、植物の生物学的特性を記録し、また1800余りのイラストが含まれ、歴代の本草著作の中で最も正確な図が載せてある。当時の分類法は西洋科学に拠るものが主流で、日本人は植物を24綱に分類し、中国本草医学体系を打ち立てることを目標としていたため、多くの改訂版や構成版の本草書籍が出版された。「重修植物名実図考」はまさに1884年小野職慤がたび重なる訂正を経て成し遂げた成果であり、データベースの中にも収録されている。

また、「A Voyage to China and the East Indies(中国と東インドへの旅)」はスウェーデンの生物学者ペーター・オスベックにより記されたもので、林業試験所は同書の英語版デジタル化を完成させた。19世紀に発行された版はドイツ語から英語へと訳され、訳者はイギリスのキャプテン・クックと共に航海し、当時ドイツで有名だった紀行作家ヨハン・ラインホルト・フォースターである。書籍の内容は中国の動植物の記録に焦点が置かれており、各動植物の学名や特徴が詳細に記載されているだけでなく、経済や貿易状況まで記録され、18世紀の中国社会と植物を繋ぐ手がかりとなった。また、同書には初発見の動植物の記録もあり、ペーター・オスベックが1765年に広東省珠江で採取した標本により、作者によって「シナウスイロイルカ(Sousa chinensis)」と名付けられている。


「重修植物名実図考」挿絵「山西ゴマ」

自然史資料のコンテンツ構築と未来のビジョン
林業試験場では2007年より書籍文献のデジタル化を行っており、その成果は「林業試験場日本時代林業文献データベース」に収録されている。日本時代の文献アーカイブは、その歴史上の特殊性により、活用できる範囲は我々の想像をはるかに超えている。近年の民族植物学では、台湾原住民の過去の生活にまで研究範囲が及んでいる。原住民の生活は本来自然資源と互いに依存し合う関係だったが、今では生活スタイルや環境が激変し、研究内容を裏付ける実証の入手が困難となっている。それ故、日本統治時代の研究記録は非常に重要なのである。

台湾には日本統治時代の植物文献を保管している機関が幾つかあるが、林業試験所図書館の所蔵品はユニークで且つ多様性に富んでいる。このデジタル化の作業は台湾自然史資料の構築に貢献するだけでなく、将来には台湾大学、農業試験所、中央研究院など機関が相互に繋がり合って、緊密な自然史データベースが構築され、台湾の生物研究に有用な情報知識ネットワークを提供できるようになることを願っている。