径38.6cm、高27.4cm
現在、この壇城の収納箱は乾隆年製の精巧な皮盒のみである。盒の内側に一枚の白綾布が貼ってあり、満州語、漢語、モンゴル語、チベット語四種の文字で、この壇城にまつわる重要な史実が記してある。この壇城は、順治9年(1652)、ダライラマ五世がチベットから西寧を経て、内モンゴルから中国を訪れ、西黄寺に奉納したものである。
清代初期の皇帝数名は統御の法に優れ、宗教の力を運用して他民族の懐柔を図った。チベット仏教は、17世紀前半にはチベット人共通の信仰となっていた上、モンゴルの各部族間にも広めているところであった。清宮廷はそれを手助けし、17世紀後半、チベット仏教をチベット、モンゴル、満州族の最も普遍的な宗教とし、それで互いの和を保ったのである。この壇城は、そのような宗教と政治の動向の中、指標となる顕かな意義を有している。一つは、清宮廷がダライラマの祝福を受けて互いの友好関係を確定し、モンゴル族への向心力も獲得したこと。もう一つは、ダライラマが黄教を東方に向けて布教し普及させ、大清国の認定を得て、チベットにおける政治及び宗教界での地位が確固としたものになったことである。(文・張麗端)
提供:国立故宮博物院
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