元 四書集義精要

外寸(縦・横)31.5×24(cm)
版框(縦・横)28×20.5(cm)

元 劉因撰
元至順元年(1330)江浙行省刊本

劉因、保定容城の人。宋理宗淳祐9年(1249)の生まれで、元至元30年(1293)没、45歳であった。南宋滅亡後、劉因は書斎にこもり、諸葛武侯(孔明)の名言である「静以修身」を好んで、住居を「静修」とした。元代蘇天爵が著した「静修先生劉公墓表」には、劉因の生涯を評して、「清廉で志は高く、才気に溢れ見識も高く、道義の厚さで故郷でも深く信頼され、その評判は広く知れ渡っている」と記している。劉因は高尚な人柄で当時の人々の尊敬を集めていたため、劉因が撰した「四書集義精要」は官府が出資して精美な書物となった。本書は元刊本で、版框は縦28cm、横20.5cm、書版は幅広く、古書には珍しい例である。字体は当時流行していた趙孟頫の字体をそのまま倣っており、それがまた実によく似ていて、出版に参与した人物や職人の優秀さがよくわかる。この元刊本が優れているのは、精緻な出来映えがすばらしいだけでなく、後世の翻刻が全くない上に、ごくわずかしが伝世されておらず、その価値をより高めている。かつて明代内府に収蔵されていた本書は、明代張萱「内閣書目」に「十三本不全」とあり、残帙であったことがわかる。清代、「四庫全書」編纂の際、両淮鹽政はこれを採録したが、それもやはりわずか二十四巻の残帙で、全書三十六巻の三分の一ほどが欠けている。四庫館の館員が、不完全な書物であるからといって収録をためらわなかったのは、劉因の著作の学術的価値を重視し貴重な善本を大切にしたからである。

故宮博物院所蔵の本書は、書中の蔵書印記から明代周九松の旧蔵であったことがわかる。その後どのようにして宮中に持ち込まれたかは、「天禄琳琅書目・続目」にも記載がなく知る術がないが、各地の蔵書記録中に記載もなく収蔵も確認されていない状況から推測するに、現存するのはこの一部のみで、その貴重さがうかがいしれる。

 

提供:国立故宮博物院